【結論──手がかりの種類で使える手段が決まり,特定できるまで時効は進まない】
不貞相手の氏名や住所が分からなくても,慰謝料請求をあきらめる必要はありません。特定の成否は,手元にある手がかりが何かで決まります。電話番号であれば弁護士会照会,氏名と過去の住所であれば住民票等の職務上請求,勤務先であれば就業場所への送達というように,手がかりごとに使える手段は異なります。
他方で,SNSのアカウントやメールアドレスしか分からない場合は,発信者情報開示請求を使えないのが原則であり,特定の難度は大きく上がります。
また,慰謝料請求権の3年の消滅時効は,不貞相手の氏名や住所を知り,請求が事実上可能になった時から進行するのが原則です。特定に時間がかかっても,それだけで時効が完成するわけではありません。
【なぜ「氏名と住所」が必要なのか──訴状と時効の二つの場面】
第1に,訴訟の場面です。訴えを起こすには,訴状に当事者を記載しなければなりません(民事訴訟法133条2項1号)。相手方を特定できなければ,訴状を届けることも,判決を得て強制執行をすることもできません。交渉で解決する場合でも,連絡先が分からなければ請求の意思を伝えることすらできません。
第2に,時効の場面です。不法行為に基づく損害賠償請求権は,被害者が損害及び加害者を知った時から3年で時効により消滅します(民法724条1号)。最高裁昭和48年11月16日判決(民集27巻10号1374頁)は,この「加害者を知った時」とは,加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況のもとに,その可能な程度にこれを知った時を意味すると判断しました。
したがって,不貞の事実を知っていても,相手の氏名や住所が分からず請求が事実上できない間は,原則として3年の時効は進行しません。もっとも,不貞行為の時から20年が経過すれば,特定の有無にかかわらず請求できなくなります(同条2号)。また,氏名や住所を容易に知り得たのに放置していたと評価されれば,その時点から時効が進むと主張される余地もあります。特定作業は,着手を遅らせないことが肝要です。
【手がかり別の調査手段】
(1)携帯電話番号が分かる場合
最も実務で多いのがこの場面です。弁護士は,受任した事件について,所属弁護士会を通じて携帯電話会社に契約者の氏名・住所を照会できます(弁護士法23条の2)。回答が得られることも多い手段ですが,照会先には強制的に回答させる仕組みがなく,照会の理由の書き方や,番号が現在も同じ契約者に使われているかによって結果が左右されます。不貞の事実と番号の結びつきを示す資料を添え,照会の必要性を具体的に説明することが重要です。
なお,格安SIMなど回線を他社から借りている事業者の番号では,照会先を正しく選ばなければ回答に至りません。番号から回線事業者を調べ,照会先を誤らないことも実務上の要点です。
(2)氏名と過去の住所が分かる場合
弁護士は,受任事件の遂行に必要な範囲で,住民票の写しや戸籍の附票の写しを職務上請求により取得できます(住民基本台帳法12条の3第2項,20条4項)。過去の住所から住民票の除票や戸籍の附票をたどれば,現在の住所に行き着くことができます。
ただし,氏名だけで全国の住所を検索する仕組みはありません。少なくとも一度はどこかの住所が判明していることが前提となります。
(3)勤務先が分かる場合
住所が分からなくても,勤務先が分かれば,訴状を勤務先に送達する就業場所送達を求めることができます(民事訴訟法103条2項)。また,勤務先が分かっていれば,交渉段階で勤務先宛てに書面を送る方法も考えられますが,職場に不貞の事実を知らせる形になると名誉毀損やプライバシー侵害を主張されるおそれがあるため,送付方法には細心の注意が必要です。
(4)自動車のナンバーが分かる場合
自動車の登録事項等証明書には所有者や使用者の氏名・住所が記載されています。しかし,登録情報の悪用を防ぐため,交付請求には原則として自動車登録番号(ナンバー)に加えて車台番号の明示が必要とされています。ナンバーだけで取得できるのは例外的な場合に限られ,運輸支局への事前確認が欠かせません。また,所有者がローン会社やリース会社である場合には,使用者の特定に至らないこともあります。
(5)SNSアカウントやメールアドレスしか分からない場合
この場面が最も難しいといえます。インターネット上の発信者を特定する発信者情報開示請求は,不特定の者が受信できる形で発信された情報を対象とし,かつ,その情報の流通によって請求者の権利が侵害されたことが明らかであることを要件としています(情報流通プラットフォーム対処法5条1項1号)。配偶者と不貞相手との1対1のメッセージはそもそも不特定の者に向けた発信ではなく,また,不貞相手が配偶者とやり取りしていたというだけでは請求者の権利を侵害する情報が発信されたことにもならないため,この制度は原則として使えません。
この場合は,配偶者の端末に残る写真や会話の内容から,氏名,勤務先,電話番号など他の手がかりを探し,(1)から(4)の手段につなげるのが現実的です。
【裁判手続を使った特定とその限界】
訴えを起こす前に相手方へ照会を求める提訴前の照会制度(民事訴訟法132条の2)は,被告となるべき者に対して訴えの提起を予告する通知を書面で送ることが前提です。相手が誰か分からない段階では,この制度は使えません。
一方,配偶者を相手に離婚訴訟や慰謝料請求訴訟を起こしている場合には,その訴訟の中で,裁判所から携帯電話会社などに調査を嘱託してもらう方法があります(民事訴訟法186条)。不貞相手の特定が配偶者に対する請求の立証にも必要であることを説明できれば,弁護士会照会で回答が得られなかった情報について,裁判所を通じて回答を求める途が開かれます。
また,住所がどうしても判明しない場合には,公示送達により訴訟を進める制度もあります(民事訴訟法110条1項1号)。ただし,公示送達が認められるには,調査を尽くしても住所等が知れないことを具体的に示す必要があり,判決を得ても財産の所在が分からなければ回収は困難です。公示送達は最後の手段と考えるべきです。
【自分で調べる際に越えてはならない一線】
相手を特定したい気持ちが強いほど,調査の方法を誤りやすくなります。配偶者のスマートフォンのロックを無断で解除してSNSやメールのアカウントにログインする行為は,不正アクセス禁止法違反となり得ます。相手の車に無断で位置情報を把握する機器を取り付ける行為や,他人になりすまして相手の個人情報を聞き出す行為も,違法と評価されるおそれがあります。
違法な調査で得た情報は,かえって相手方からの損害賠償請求や,交渉での主導権喪失を招きかねません。探偵業者に調査を依頼する場合は,探偵業法に基づく届出の有無,調査方法,報告書の形式を事前に確認し,調査費用が慰謝料額を上回る事態を避けるため,弁護士と費用対効果を検討したうえで依頼すべきです。
【最後に】
不貞相手の特定は,手がかりの見極めと手段の順序で結果が変わります。当事務所では,お手元の資料から使える手がかりを洗い出し,弁護士会照会,職務上請求,裁判手続までを組み合わせて特定を進めます。特定後の慰謝料交渉,訴訟まで一貫して対応しますので,相手が分からないとあきらめる前にご相談ください。